小さな一歩が未来を変えた——母と娘のシンガポール奮闘記
AS Global Education 代表、岡芳子です。
前回のブログでは、14歳の娘と共に日本を離れ、母子でシンガポールに渡ったときの決断と葛藤について綴りました。
今回はその続きとして、実際に現地で始まった学校生活や、親子が直面したリアルな毎日、そしてその中で見えてきた“本当の成長”についてお話ししたいと思います。
初めての“世界”に飛び込んだ娘——言葉の壁と孤独の中で
シンガポールのインターナショナルスクールに通い始めたばかりの頃。
娘は、教室の中でほとんど言葉を発することができませんでした。
クラスメイトは世界中から集まった多国籍の子どもたち。
英語と中国語が当たり前のように飛び交う教室で、先生の話は理解できず、ノートを取るどころか、黒板の内容すら意味がわからない——そんな毎日でした。
それでも、彼女は登校をやめることはありませんでした。
悔しくても、孤独でも、娘は毎日教室に通い続けました。
言葉が通じなくても、身振り手振りや目の動きで相手に伝えようとする。
まずは「聞くこと」から始め、少しずつ、教室の空気に溶け込もうと努力を重ねていったのです。
“手を出さない勇気”——母としての新たな役割
そんな娘の姿を、母としてただ見守ることは、簡単ではありませんでした。
正直なところ、最初は何度も手を差し伸べたくなりました。言葉がわからないなら通訳してあげようか、先生に状況を伝えた方がいいのではないか……。
けれど、私は気づいたのです。
これは彼女の人生の“最初の大きな壁”であり、それを自分の力で乗り越えることでこそ、意味があるのだと。
私は、通訳でも先生でもなく、「母」としてできることを選びました。
それは、必要以上に手を出さず、彼女のペースを尊重しながら、どんな時でも“安全な帰る場所”でいること。
家に帰った後、涙をこぼす日もあれば、ポロリと本音を話してくれる日もありました。
その一つひとつを受け止めながら、「見守ることの尊さ」を身をもって学びました。
「今日は、少しわかった気がする」——変化の始まり
そんなある日、娘がふとこう言ったのです。
「今日はね、先生の言ってることが少しわかった気がする」
その言葉を聞いた瞬間、私の胸にじんわりと熱いものが広がりました。
“わからない”という状態の中に長くいたからこそ、小さな“わかる”がどれだけ大きな意味を持つのか、私たちは身をもって知ったのです。
この日を境に、娘の表情が少しずつ変わっていきました。
英語の音に耳が慣れ、短い会話ができるようになり、クラスメイトとの間に笑顔が生まれていったのです。
留学は語学以上の学び——自分で立ち上がる力
シンガポールでの学校生活は、語学を学ぶだけの場所ではありませんでした。
“自分の言葉で伝える”
“相手の違いを認める”
“わからないままでも進む”
こうした体験の一つひとつが、娘の中に“自立の芽”を静かに育てていきました。
そしてそれは、親である私にとっても大きな学びでした。
「子どもを信じること」「見守る勇気」——日本では当たり前に手を差し伸べていた場面でも、信じて待つ選択ができたのは、異国という環境だったからかもしれません。
すべては「小さな一歩」から始まった
“挑戦する”とは、必ずしも大きな決断や派手な行動だけを指すものではありません。
娘が毎日通い続けた「わからない教室」こそが、彼女の人生を変える第一歩でした。
私たち親子は、決して特別な存在ではありません。
何もかもが初めてで、何度も不安に押しつぶされそうになった。でもその度に、「やってみよう」と選び続けてきました。
この小さな一歩が、やがて大きな成長につながり、娘は今や“どこでも生きていける力”を身につけています。
これから親子留学を考えている方へ
もし今、海外での教育や親子留学に興味はあるけれど、不安が大きいと感じている方がいれば——
大丈夫です。最初は“できない”状態が当たり前。むしろ、それこそがスタート地点なのです。
次回は、シンガポールで出会った多国籍な友人たちとの交流や、現地の暮らしについても、よりリアルな視点でお届けしたいと思います。
どうぞ楽しみにお待ちください。
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